身体のうちに音が残響して彼岸
昨日の今日といえば文字通りまだまだ昨日の今日なのだけれど、まだなんか、耳の奥の方なのか、身体の芯のあたりなのか、脳の髄なのか、どこかはわからないけれど(いやその全てなのか)、音が反響し、残像のように、響いている感じがしている。
ギターのフレットに指を置く感触とか、視界を彩る風船の光沢とか。打ち上げにてフライングで口にしたキリン一番搾り(だったと思う)の香りと苦味、そして炭酸のしゅわしゅわ。残すまじと最後の最後で書き込んだ冷めたチャーハンやら焼きそばの少し固くなった食感。胡麻油の香り。満腹感。帰宅してそのまま昏倒して、目が覚めた瞬間の二日酔い前夜祭的軽い頭痛と脱水症状。
打ち上げが終わって、馬鹿みたいに子どもたちとこおり鬼やって本気で走り回って、その後遺症としての太ももからふくらはぎあたりに筋肉痛があって、日常生活に復帰しながらも、ふとデスクを立った瞬間や、階段を登ろうとする瞬間、ちょっとピキッとくる、そのまさにピキッとくる感覚が、昨日の五感をRebootする、するとたちまち脳と意識はむしろ日常から非日常への帰還を誘うのでありました。
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とまぁ、ごたくはさておいて。
今回もなんとまぁ盛りだくさんだったこと、と、思い返すと我ながら感心する。
その詳細は直前のドタバタ記事に記載の通りなので、まぁ割愛するとして、まずもって驚いたのが設営の皆様の素晴らしい仕事であり、またハイライトは、フルーツバスケット初のPAシステムの導入だった。
まさか自分たちの活動にPAシステムを必要とする日が来るなんて、思いもしなかった。 (想定しておけよ、という話ではあるのだけれど)
必要とする人が、必要なときにあらわれてくれる。
すごいことです。
もちろん「あらわれなかった他に必要だった(かもしれない)こと」は意識にすら登らないので、総括がこうなるのは、(他のあらゆるプロジェクトと同じように)当たり前といえば当たり前となのだけれど。しかしそれにしても、これは一体何なのだろう。世に「足し算型プロジェクト」は数あれど、この活動の持つ召命的な場の力によって、人々が導かれている、そういう感じがするのです。
もちろん、あのとき、ああすればよかった、ここはもう少しこうだったよな、ということはたくさんある。たくさんあるのだけれど、素人系バンドの到達点として、この領域にたどり着いたということ自体が、ちょっと信じられなくて、なんかもう、笑っちゃうというか、意味の不明さにただただ茫然とするばかりなのである。
毎回そんなこと言ってるけど。
それはそれとして、近々、実務的なというか、ちゃんと次に活かせるような総括記事も書きます。ほんと、いつかどこかで同じようなことをやるときに、しっかり事例として参考にできるような、業務的な総括記事。